ヒカルは日本で人気のあるYouTuberです。人気と話題性の点で最も世間を賑わせている日本人YouTuberですが、ある事件がきっかけで活動休止をしていたことでも有名です。この記事で現在のヒカルと大炎上事件、また復帰までの足取りを解説します。
YouTubeに動画を投稿し収入を得て活躍するYouTuberは、現在世界中で人気の職業として注目されています。日本の子供たちがなりたい職業のトップ10にYouTuberがランクインするほど、YouTuberは今や憧れの職業となっています。現在世界で最も稼ぐYouTuberはプロゲーマーのダニエル・ミドルトンで、その年収は18億3,000万円に上ります。
日本において最も稼ぐYouTuberは「HIKAKIN」でその年収は1億7,000万円と言われています。日本YouTuber年収ランキングトップ10にランクインし、話題性とその派手さから多くのファンを魅了し続けるYouTuberこそ、今回紹介するYouTuberヒカルです。
YouTuberヒカルを一躍有名にしたのは、祭くじの当たり動画です。ヒカルの動画は特徴的で、派手にお金を使う動画、カード開封動画、またゲームセンター関連の動画など常に人を驚かせ続けています。またヒカルは「炎上系YouTuber」としても世に広く知られています。なぜでしょうか。この記事でYouTuberヒカルの過去と今を詳しく紹介します。
日本で人気のYouTuberヒカルですが、彼のこれまでの足跡をたどる前に、簡単にYouTuberヒカルがどんな人物なのか、ヒカルのプロフィールを簡単に紹介します。ヒカルの本名、年齢、身長、体重、出身地をまとめて以下に記載します。
本名 | 前田圭太(マエダ ケイタ) |
生年月日と年齢 | 1991年5月29日(28歳) |
出身地 | 兵庫県姫路市 |
身長 | 175cm |
体重 | 59kg |
続いて、YouTuberヒカルの職業と所属事務所を以下にまとめて記載します。
職業 | YouTuber、成功報酬型広告業務、広告代理業務 |
所属事務所 | 現在はフリー |
YouTuberヒカルのプラットフォームは、当然動画配信サービスのYouTubeです。ヒカルはこれまで1,238本の動画をYouTubeに投稿し、22億9,353万回以上の再生回数がありました。この数は今も増え続けています。これらの動画をヒカルは自身が運営する2つのチャンネルで配信しています。以下にヒカルが運営する2つのチャンネルを記載します。
人気YouTuberヒカルが誕生するまでの道のりは平坦ではありませんでした。人生の浮き沈みを経験し、紆余曲折した後、現在の成功を掴むことができました。YouTuberヒカルのサクセスストーリーを、その足跡を交えてこれから辿って行きたいと思います。ヒカルの人生を3つに区分して紹介します。
まず、YouTuberヒカルの子供時代にスポットを当てて、ヒカルの足跡を辿ります。ヒカルは兵庫県の姫路市で生を受けました。ヒカルの家庭は裕福ではなく、兄「まえす」と共に貧しい少年時代を過ごします。しかしヒカルの話術は、すでにこの頃からずば抜けており、学校の先生を論破するほどでした。
しかしヒカル少年はゲームや漫画が大好きな、ごく普通の子供でした。当時爆発的な人気で社会現象にもなった「ドラゴンクエスト」を始め、多くのテレビゲームをしてゲームの腕を友達と共に磨いていきます。中学校に入学した後も、ゲーム好きはそのまま。しかしその端正な顔立ちのため女生徒にはとてもモテたようです。
そして人生の転機ともなる高校時代に突入します。
ヒカル青年は兵庫県の神崎高校に進学します。そこで運命の出会いをします。後にヒカルの運営チャンネル「Hikaru Games」のメンバーになる「りょうま」との出会いです。派手で奇抜なヒカルとは対照的に「りょうま」地味な性格で、二人はまさに「水と油」、決して混じり合わないと誰もが考えていました。
しかし二人は共にゲーム好きでした。二人を結びつけたのは、任天堂のゲーム「大乱闘スマッシュブラザーズ」でした。互いに「最強」を自負していましたが、結果はヒカルの圧勝でした。しかしその後二人の距離は急速に縮まります。高校を卒業したヒカル青年は、工場に就職します。
ところが上司とは折りが会わず、また単純作業の毎日に疲れたヒカルは半年ももたずに工場を後にします。ヒカルの人生の「谷」はまだ続くかに見えましたが、その後人生の「山」が訪れます。「りょうま」の兄との出会いです。
「りょうま」の兄の会社で働くようになり、みるみる頭角を表すようになったヒカルは、ヤフオクで成果を上げた後、営業職に転身します。ここでも頭角を表し、「りょうま」の兄の会社を離れて独立開業します。一時は月収が100万円になるほどの成功を手にします。しかしその後、さらなる人生の高見へと上り詰めていきます。
時代の流れを見て取ったヒカルは、成功報酬型広告業務、つまりアフィリエイトの世界に活路を見いだすべく参入します。ネットビジネスの世界でも大成功をおさめ、21歳の若さで月収1,200万円を稼ぐほどでした。さらに「進撃のアナザーワールド」という企画の成功や、コンサルティングの仕事もするようになりました。
その結果月収もアップし2,000万円に達しました。ヒカルの金脈はこのようにして築かれて行きました。そして、その後ヒカルが目を付けたのが「YouTuber」でした。一時はYouTuberとして7つのチャンネルを運営するほどの大盛況でした。現在は2つのチャンネルのみの運営にとどまっています。しかしヒカルの目は、常に2歩先を見ています。
1 / 4
続きを読む